東北教区は日本聖公会設立から4年目の1891年、北東京地方部監督のJ・マキム師のもと派遣された伝道師団により、福島県をはじめに宣教されました。
仙台は1894年にH・J・ジェフリース長老が伝道師として派遣され、伝道集会や裁縫学校、幼稚園、日曜学校等による宣教活動が行われました。
仙台基督教会(当時は仙台聖公会)の会館は1901年、礼拝堂は1905年に落成され、その頃ワシントンから派遣されたN・S・ビンステッド主教が東北地方部の監督として着座されました。
この頃多くの説教者を招いての伝道説教会が行われたり、聖職修養会や静想の会などが頻繁に開かれ、教勢は倍増し、聖職志願者も相次ぎました。
その後の第二次世界大戦前・戦中に入り、宣教師たちの退去や教区解散等が余儀なくされましたが、戦後の困難な時代から立ち上がり、自給自足という課題への取り組み発展へと進みました。戦後早々に帰日された宣教師をはじめ、戦中の空白を埋めるかのように、次々と修養会や青年会、婦人会や日曜学校宣教師会等が復活しました。
戦争で焼け落ちた主教座聖堂仙台基督教会礼拝堂建設が始まり、1965年に新礼拝堂の大聖堂が完成しました。これに伴い当時の主教は住まいを弘前から仙台へ移しました。青葉女学院復興、変容貌修女会開設により、仙台は教区の中心として一段の発展を見せました。
その後第3代教区主教の今井正道師時代にドレーパー司祭によって始められた米国聖公会ルイジアナ教区との交流は、この時に一層盛んになり、今でも深い交わりにあります。仙台基督教会の聖歌隊も数年に一度、ルイジアナ教区へと足を運んで交流を続けています。
1957年には現在の太白区金剛沢に西の平聖パウロミッションが建てられました。仙台基督教会の仙台市南部の宣教拠点として建てられた伝道所です。住宅地に囲まれた伝道所は地域に根付き、また仙台基督教会と関係のある聖ルカ幼稚園が近くに移転したこともあり、幼稚園との交わりもあります。
また、1984年には仙台基督教会の泉地区宣教拠点として、聖ペテロ伝道所が長命ヶ丘に建てられました。近場への移転もありましたが、開所以来、聖ペテロ伝道所を活動拠点として障がいをもつ子どもやご家庭の支援活動、「ひかりおもちゃ図書館」の活動を続けています。
1991年には大聖堂で東北教区宣教100周年大礼拝が献げられました。この頃、戦後建てられた聖堂は老朽化や天災などの影響で改・修築が行われていました。
2011年3月に発生した東日本大震災時には、仙台基督教会の会館が災害対策本部となり、震災発生3日目から活動していました。仙台基督教会からも多くの信徒が支援に携わり、その活動が東日本大震災被災者支援プロジェクトに引き継がれた今も、復興に向けた支援を続けています。
2000年代に入った頃から老朽化が目立ち、教会の建て替えの準備が始まりましたが、東日本大震災により大きな被害を受け建て替えが早まり、2014年に現在の新しい教会・聖堂が建てられました。
新聖堂は定禅寺通に面することとなり、地域の方々の目によく触れるようになったためか、以前にも増してコンサートや講演会等で利用していただく機会も増えました。